オタク女の手帳 腐女子と小説と二次創作同人誌

現在YouTubeを中心に活動中です。

焼き鳥をシェアするか一本ずつ食べるか問題

飲み会の焼き鳥 バラして食ふか 一本食ふか

 

 こんにちは、キダチです。最近はYouTubeで同人活動に関するラジオをやっています。

 今日は焼き鳥に関する雑談です。

 無理やりコミュニケーションの話につなげています。

 

 会社や友人との飲み会で、焼き鳥を串から外して平等に配るか一人一本食べるかって確認しませんか?

 そもそも、確認もなく外して配るのが当たり前という考えの方もいると思いますし、「え?一人一本じゃないの?」と驚いた方もいると思います。

 

 私は焼き鳥は一人一本、串から外さずに食べたい人です。

 せっかく串に通ってるんだから、串を持ってかぶりつくのが本来の食べ方のはず。

 串から外しちゃうなら、ただ鶏肉を細かく切って焼いただけじゃんって思っちゃう。

 

 でも、飲み会代金が割り勘なら平等に配るべきだ。もも肉も皮も砂ぎもも、いろんな味や種類を少しずつ食べられたほうがいいという考えがあるのも理解できます。

 

 なので飲み会では周りの様子をみつつ、誰かが率先して焼き鳥を串から外しはじめたら「この飲み会はそういうパターンのやつね!」と私も外すのを手伝います。

 焼き鳥、冷めちゃうな~なんて考えながら。

 

 誰かがひょいっと一本とったら、「私も~!」と続いて一本まるごといただく。

 はずしてシェアする派の人が「えっ!?」って顔しますが、大抵は受け入れてそれぞれ1本ずつ食べ始めてくれます。

 

 どっちのパターンでも、周りの様子を見て空気を読み、適切に振舞えば事なきを得ますし、納得いってない人がいたとしても、みんな大人なので何もいいません。

 

 しかし、一筋縄ではいかない場合もある。

 それは「こういう時は外してシェアするのが当たり前!」と主張する人が現われたり「今時シェアってw 一人一本食べればいいじゃない」と主張する人が現れたりするということ。

 どっちの言い分も分かるぶん、その飲み会はちょっと気まずくなります。

 

「シェアするのが当たり前!」という主張は、誰かにそう教えられてそれ以外のパターンを経験していない、またはそれ以外のパターンがあることに想像が及んでいないから出て来る主張と考えます。

 その「当たり前」って、その人の常識であって、一本串のままかぶりつきたい人だって当然います。

 

 また、皆がシェアしようとしている時に「私は一本まるっと食べたいなあ」って強めに主張する人は、何故かシェアしようとする人よりも白い目で見られます。

「平等!みんな幸せ!」という意見が相手だから不利なんですよね(有利・不利ってなんやねん)

 もちろんそこで一本食べる流れに無理やり持って行った場合、空気は悪くなります。経験上「シェアする派」が多数派の場合が多いので。

 

「じゃあこうしましょうか!」って双方の意見をまとめてくれるリーダータイプがいれば上手くまとまる時もありますけど。

 食べ物についての遺恨ってのちのちにも意外と響くから慎重になりたいものです。

 

私は飲み会で焼き鳥が出てきたら「みなさんは外してシェアする派ですか? それとも一人一本食べる派ですか?」と選択肢を提示します。

こうすることで「シェアする派」に「一人一本食べるパターンもある」ことを示してけん制するんです。だってキダチはできれば砂肝を一本食べたいもん。

 

 そこでシェア派が多数だったら諦めますが、みなさん「串から外す」のが面倒なのか、選択肢があると「べつに一人一本でよくね?」みたいな空気に不思議となります(もちろんならない場合もあるけど)

 こうして私は大好物の砂肝にありつくチャンスを増やす。

 

 しかし。私のこの作戦は前に失敗したことがあります。

 テーブルが複数に分かれて、各々好きに注文していいよ!という飲み会に参加したときのこと。

 私は私と同じテーブルに座っている数名と料理を注文し、焼き鳥も頼みました。

 私はすかさず「シェアする? 一人一本食べる?」と周りに聞きました。

 結果、一人一本ということに話がまとまって、みなさんが好きな部位の焼き鳥を各々選んで食べ始めます。

 

 焼き鳥の例をきっかけにして、私のテーブルでは各々好きなものを注文して勝手に食べるという空気ができて気楽でした。

 隣のテーブルは、注文したものをいちいち全員に配ってるように見えた。それはそれで素敵なコミュニケーションだけど、私は食べたいものを食べたいだけ食べたかった。

 だって食べ放題だし、宴会費は会社もちだったからそもそも平等に分ける意味がないのです。

 

 飲み会の時間がすすみ盛り上がってきたところで、それは起こりました。

「なんでもシェアおばさん」の襲来である。

 その飲み会は職場の飲み会だったので、相手は上司。

 酒を飲んで出来上がった彼女は、私が仕切るテーブルに来て、後輩がもも肉の焼き鳥にかぶりついているのを見て言いました。「アンタ、先輩の前で一本まるっと食べてるわけ!?」と。


 この場合の「先輩」は私のことで、私の仕切りでこのテーブルは一人一本食べることになったんですけど、タイミング悪く後輩だけが焼き鳥を残している状態(しかも数本)の時にそのおばさんが来ちゃったものだから、後輩が数本の焼き鳥を独り占めしているように見えたんだと思います。

 

「こういう時はシェアするもんでしょぉ~」という話が始まったので、すかさず私が「みなさんに意見をきいて、このテーブルは一人一本すきな部位を食べようって話になったんです」と説明。周りも頷いて串入れに溜まった使用済みの串の束を指さす。

 一応そのおばさんは「そういうことね~」と納得したようですが、酔っぱらっているのか「飲み会はなんでもシェアするのが平和」理論を展開し始めました。


 後輩ちゃんが説教をうけやすいタイプ(普段仕事のミスが多く、気が弱い性格)なのもあって、結構強めに説教されていました。

 私がサラダを食べ終わったあとの空いた皿を指さして、「ほらぁ、先輩が食べ終わってるのを見たら空いた皿を下げてあげなさいよ」とかも言い出して。

 

 そもそもこの飲み会は食べ放題のコースで経費は会社もちだったので、誰が何をどれだけ頼もうがよかったんですね。

 料金と出て来る料理が決まっていて、数人前が大皿にひとまとめに運ばれてくるなら「平等にシェア」もわかります。むしろそうするべきでしょう。

 でも食べ放題ですよ!シェアしたいやつも、一本食べたいやつも自由に注文しなさいよ。

 

 結局そのお局さんは「飲み会をすると、どの社員が仕事できて、どの社員が仕事できないかがよぉ~く分かるわ」なんて語りだして、後輩ちゃんはどんどん俯いていきました。

 相手はお局さんなので、みなさん「そうですよね~」「いつもありがとうございます~」なんて言って話をあわせていました。

 

 話しているうちにお局さんが持ち歩いていたグラスが空になったので「何か飲みますか?」と聞いたら気をよくして「ほらぁ、こういうことよ、皆もキダチさんから学びなさい?」とか言い始めて「クソ、助長しちまったぜ」なんて思ったりもしましたが、ちゃっかり自分の株は上げました。しめしめ。

 

 私は「私の常識がみんなの常識」という態度で後輩に接さないように気を付けよう……とその上司を反面教師にしました。

 お局さんが去ったあと「酒の席だからってねえ」「私には気を遣わなくていいからね」とフォローしておきましたが、後輩ちゃんは楽しくなかっただろうなあ、と思います。

 

 でも、後輩ちゃんは私のいたテーブルでは一番年下で、一番勤続年数が短かったので、古い考えの人が多い私の会社では、率先して動くべきだったのは否めないでしょう。

 後輩は「その考えって古くないですか!?」って私には愚痴ってくれるんですけど「気持ちは分かるけど、会社の居心地をわざわざ悪くしなくてもいいんじゃないかな~それも処世術だよ~」と説得しています。

 

飲み会で考えたコミュニケーションの話

 

この話でなにが言いたいかというと、

①自分の常識がみんなの常識だと思わないこと

②自分の希望を通す前に周りに確認をとること

③目の前の状況だけを見て自論を展開しないこと

 

お局さんはそもそも、シェア以外の選択肢はねえ!という考えであり、一人一本食べたい派もいる(特にネット等では論争になっていることを知らない)ということに想像が及んでいなかった(お酒が入っていて言い過ぎちゃったのもあると思うけど)

 

私は焼き鳥が目の前に出てきたときに、みんなはどうやって食べたいかを聞きました。

 先輩である私の立場なら、私の意見が通りやすいという打算は正直あった(すまん)けど、みんなの意見を平等に聞く姿勢は見せたつもり。そもそも誰かが仕切らないと場がすすまんので、先輩である私が仕切りました。

 

お局さんは、後輩ちゃんが焼き鳥を食べようとしている現場だけを見て説教を始めた。

 それまでこのテーブルでどういうやり取りがあったのかを確認せず、自分が見た情報だけで判断した。

 このテーブルは焼き鳥を串からはずさず食べることにした、という事情を知らないで後輩を責めたわけです。



 たとえばオタクのSNSでも、コンテンツの楽しみ方はひとそれぞれなのに「こうやって楽しむのが当たり前だ」「作者はこういう意図で作っている」と主張する人がいます。

 

「焼き鳥は串に通してくれているのだから串のまま食べるべきだ」という主張は外して食べたい人を否定するし、「作者は映画館で観てほしくて映画にした。映画館でみないと勿体ない!」と主張する人は円盤化を待っている人を委縮させます。

 

 一番好きなコンテンツ!これにはいくらでもお金出せる!ってくらい推してる人と、そういうコンテンツは他にあって、この作品はそこそこにしたいから円盤をまとう~って人もいます。

 完凸するまでガチャを回す人もいれば、無課金で石を溜めて出たカードだけでゲームを楽しんでいる人もいる。

 

 これが正しい!これが最善手!と主張するのは構いませんが、それがすべてではなく「正しい」と「最善」は人によって違うかもしれないという想像はしてほしい。

 肯定的で前向きな意見は主張しやすいため、特にSNSなどでは目立ちます。

 本当はそれイヤなのに、嫌いなのに……というネガティブな意見はポジティブな人の「何故ですか!?こうしたら幸せなのに!」という主張にかき消されてしまいます。

 そもそも公式にとってはお金をたくさん落としてくれるお客さんのほうがいいにきまっているので、余計に弱く感じてしまうわけです。

 

 すべての人が納得するコミュニケーションをとるのは難しいけど、なるべく多くの人が納得できる提案ができて、納得できていない人に気づいて声をかけてあげられるような想像力はもっていたい。

 

 お局さんの発言は、彼女がお局さんで上司であるがゆえに私や後輩では立場上、フォローが精一杯できちんと反論ができませんでした。そもそも上司に反論はしないほうがいいです。

 こうして「否定されない=正しい」という経験が積み重なって「自分は正しい」「これが常識」と思い込むモンスターが誕生する(と私は思っている)ので、強い立場の人ほど気を付けないといけないと思います。

 

 自分は年下の子ともうまくコミュニケーションがとれている!と思っている方、それって若い子が気を遣ってくれてるからじゃないですか?

 後輩や部下に褒められるということを自慢ポイントにしている人、あなたが上司だから褒めるに決まってるでしょ。……って話なんですよ(ブーメランです)

 たとえその日の服装がどんなにダサくても、誰も上司にむかって「今日の服ダサイっすね」って言いませんよね。

 

 SNSで妙に発言力がある方が、自分を肯定してくれる人だけを周りに固めて偏った考えを拗らせていくのはよくある話。

 その人の発言力・作るものの面白さや上手さ、立場、どこかに魅力があって周りに人が集まって来てるはずなんですが、そういう人たちって力のある人にお近づきになりたいから耳心地のよいことを言います。

 それを自分の考えが全肯定された!と勘違いして調子に乗らないようにしたいのです。

 

 上司を全肯定する部下はかわいがられて、反対意見をいう部下はけむたがられる。

 部下の処世術としては前者がお得かもしれませんが、上司として会社として聞かないといけない意見はいったいどっちなのか。

 

 焼き鳥の話からだんだん離れて行ってしまいましたが、私は最近復活しだした飲み会で、焼き鳥をどう食べるか問題に久しぶりに直面し、これまで話したようなことをぐだぐだと考えてしまったという話です。

 

 ちなみに私は気ごころの知れた友達同士の飲み会の時は「ねえねえ、焼き鳥串から外す派?」って聞いて「一人一本でよくね?」って話になったときに「そういう人と一緒にごはん食べるのすごい楽~」って意気投合して定期的に一緒にごはん行くようになります。

 割り勘も雑なほうが楽です。

 

 1円単位で平等に割り勘する人やシェアする人を否定しているわけではありません。
 たとえば初めて食事にいったとき・相手との信頼関係がまだ育っていないときは「きちんとしている」姿勢を見せるためにもきちんとお会計をするのは大事です。お金ってトラブルのもとですから。

 だんだんその辺適当になっていっても、損した気持ちにならない相手が、私にとって相性がいいという話です。

 

 それぞれ食べたものが違っても、お会計をきっちり参加人数で割ったとき、あまり食べてない人は損した気持ちになるかもしれません。

 でもそこに誰かが気づいて「さっきあんまり食べてなかったでしょ」と何かで埋め合わせができる、そんな気遣いをしあいたいです。


 私は人より多く食べるタイプなので多めに出すようにしていますが、お酒アリの席の場合は、お酒を飲めない分割り勘に不平等さは感じます。
 しかし、酒があろうがなかろうが、楽しい時間を過ごしたのだから同じ金額は払いますよ。

 

 けど1円単位の細かい割り勘よりも、「酒飲まない人がからあげ1個多く食べな~」とか「飲んだ人で半端分は出そうか」って提案してもらえたりする「お金じゃない気遣い」のほうが私は嬉しいし、良く気が付く方だなあって好感度めっちゃあがります。

 長く続く友達って、いい意味でゆるいし雑だけど、気遣いしあえる心地いい仲であることが多いです。

 きっちりするのは最初だけでよくて、だんだんとお互いの許容範囲の最大公約数までゆるくしていきましょう。

 必要以上の気遣いをしなくていい関係がちょうどいいですし、最低限を下回ってはいけません。

 

 注意してほしいのは、相手との信頼を築くのがまだなのに、突然「私は割り勘1円単位でする人苦手なんですよねえ」「焼き鳥は一人一本でいいっすよねえ」って主張しないこと。

 それが主張できるようになるための積み重ねが必要だということを忘れないこと。

 相手がどんな人かもまだ良く分かってないのに「私、人の投稿にあんまりイイネしないタイプなんで、皆さんもしなくていいですよ」みたいに、自分にとって都合のいい状態に最短ルートでいこうとしないことです。

 自分にとって「ちょうどいい」「都合がいい」ことが、他の人にも当てはまるとは限りませんからね。

 

飲み会で別のテーブルにお邪魔するとき、ツイッターのタイムラインに浮上するとき「うわ、めんどくさいやつ来たよ」って思われない振舞いをしたいものです。



 なんてことを飲み会の帰りに考えていたので、せっかくなので記事にしました。

 YouTubeでもこの話をラジオにしておりますので、良かったら聴いてください!

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 

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