オタク女の手帳 腐女子と小説と二次創作同人誌

現在YouTubeを中心に活動中です。

「ゆるパク」という言葉の意味について考え直しました

 

 先日の生放送にて、「ゆるパクされ続けて自信がなくなったので、励ましてほしい」という主旨のおたよりを読みました。

 

こちらです。

「十数回に渡ってゆるパクをされて以降、小説を書く自信がなくなってしまいました。
 今まではちょっと頑張って書いた作品を勇気を出してアップしていたのですが、その「ちょっと頑張る力」や「勇気を出す力」も無くなってしまいました。

 自分で自分の背中を押せる、そういった自信は中々戻らないものなんだな…と悲しくなりながら、いつ書ける日が本当に来るのか分からない不安を感じています。

 今は休むしかないとは分かってるものの、大丈夫だと言ってほしくておたよりしました」

 

 私は「大丈夫だと言ってほしい」という部分に注目して「大丈夫ですよ」「ゆるパクは何も生まないね」というような声をかけました。

 

 結果的に、おたより主さんからは「元気が出ました」というお礼のおたよりをいただいたのですが、何人かの方から「ゆるパクされたと言っている人を庇いすぎではないか」というご意見をいただきました。

 

 そのひとつがこちらです。

「逆の立場で、まったくパクっていないのに第三者からパクだと指摘され続けたことがあります。過剰に考えすぎている方もたくさんいます。お気持ちの問題なのにゆるパクされたと言っている人に寄り添い過ぎてるのが違和感がありました」

 

 こちらのご意見を受け取った時、私は「おたより主さんはただ励まして欲しかっただけなのに」という意識があったため、このご意見の意図を正確に汲み取れていませんでした。

 

 おたより主さんが「パクられたと思って」「落ち込んでいる」という事実と前提は、おたよりの文面からは動かしようが無かったからです。

「大丈夫だと言って欲しい」とはっきり要望が書かれていたので、それにお答えする形になりました。



私の意識とリスナーの意識のすれ違い

 

 励ました点に関しては私も「間違ったことを言った」とは思っていないのですが、その後も「キダチさんのゆるパクの扱いにモヤモヤする」「ちょっとネタが被っていただけでも毒マロをもらうシビアな世界なんです」といったおたよりを複数いただきました。

 

 このすれ違いはなんだろう、どこからきているんだろうとずっと考えていました。
 ベラさんにも話をきいてもらって考えをまとめたのできいて頂けると嬉しいです。

 

 ベラさんと話している中で、リスナーさんと私の間で「ゆるパク」の言葉の定義からズレがあるのではないかと気づきました。

 

 私にとってゆるパクというのは

「タイムラインで見かけたネタをちょろっと拝借する行為」

「ひとの作品の一部または全部を真似する行為」

「ひとの作品に後追いで被せていく行為」

 のことでした(どれも程度はどうあれ気づかれない程度に、という意識がパクった本人にはあるという前提)

 

 厳密にはどれも盗作ですが、盗作だと強く糾弾できないグレーゾーンのことを「ゆるパク」と呼んでいたんです。

 昔はそれで概ねあってたんですが、最近「ゆるパク」という言葉が内包する意味が枝分かれしているのです。



ゆるパク・トレス冤罪問題が背景に

 

 ゆるパクされて落ち込んだ方を励ました放送のあと、いただいたご意見の殆どは「ゆるパクは気持ちの問題」「言いがかりをつけられた側にも配慮して話してほしい」「逆の立場を経験した自分からすると、おたより主に寄り添いすぎている」というものでした。

 

 もちろん「おたより主さんに味方した結果の発言」という部分を理解してくださっている方もおりましたが、それでも「どちらの気持ちも分かる」という文言が添えられておりました。

 

 どうしてこんなに「ゆるパクした」という疑いをかけられることに敏感な方が多いのかと思いました。

 おたより主さん本人についてではなく「逆の立場」の意見が多かったのです。

 

 ベラさんと話している中で出たのが「最近はパクリ疑惑をかけられた側・かけられるおそれがある側が非常に敏感になっている」という話でした。

 

 最近も大きな事件がたくさんありました(盗作疑惑、トレス疑惑など)

 中には本当にブラックな事件もありましたが、

 完全な言いがかりであると証明され立場がひっくり返った事件もありましたね。

 

 そんな大騒ぎがあったために「自分も」「私も」「あいつももしかしたら」と抱えていたものが爆発してしまった人たちが、ちょっとしたネタ被り・たまたま被っただけのネタにも過剰に反応して「パクりだ!」「あいつにゆるパクされている!」とあちこちで騒ぎ始めてしまったのではないかと。

 

 あちこちでそんな事件やトラブルを見聞きしていると、心配性な方や臆病な方は、自分にその気がなくても、誰に何かを言われたわけでなくても「私もやってしまっているのではないか」「私も誰かにされているのではないか」と無意識か意識的かに関わらず不安になり、だんだんパクりとネタ被りの区別もつかなくなってがんじがらめになっているのではないかと。

 

 議論があちこちで交わされ「ゆるパク」という言葉に疑問を呈する方も当然でてきて【「ゆる」ではなく「盗作かそうでないか」でしかない】という意見が浸透するようになり「ゆるパク」という言葉は、言葉そのものの意味よりも「言いがかりをつけられる不安」とセットになって使われるようになっていったのだと思います。

 

 さらに実際に盗作され続けてモヤモヤしている人が、犯人を糾弾しやすい雰囲気にもなっていて、トラブルに発展しやすい火薬庫状態になっているのだろうなと想像しました。

 

 そんな背景があり、私の生放送での発言に違和感をもつ方が多かったのではないかと考えました。

 

 私はこれらのことを知らなかったわけではないのですが、

 おたより主さんに味方するがゆえ、「大丈夫だと言って欲しい」という言葉に注目したがゆえ、「ゆるパク」という単語をさらっと流し過ぎてしまったのです。

 

 少なくともおたよりを読んでいる放送中は、おたより主さんが「ゆるパクされた」と言っているのを信じていましたし(今も疑ってはいません)しかも「ゆる」については深く考えず「盗作された」というニュアンスで受け取っていました。

 十数回にわたって被ってるならそれは偶然ではなく故意だろうとも思っていました。

 パクりの白黒判定については深く考えずに、ただ「励ました」のです。



ケースバイケースとダブルスタンダード

 

 私はネタ被りが起きた場合、それが偶然ならパクりではなく、パクられたと勘違いしている人のいいがかりだから気にしなくていいと思っています。

 

 そして同時に、誰かの影響を受けて似た設定で書きたくなり、自分の言葉や表現でオリジナリティを追求した作品を書くことはリスペクトであり、神経質になる必要はないとも思っています。

 

 さらに上記のことについて「気になる人は気になるから気を付けたほうがいい」とも思っています。

 

 これはケースバイケースであり、臨機応援に考え方を適用していかなければならないことなのですが、こういった意識があるにも関わらず、ただ「ゆるパクされた」と言っている人に、周囲への何のフォローもなく味方してしまったがゆえに違和感を生んでしまったのです。

 

 「パクりは悪である」ということと、

 「パクられたと言いがかりをつけるほうが悪いのだから、神経質になる必要はない」ということ。

 両方の考え方が同じキダチという人間から発されているにも関わらず、同じ口で「ゆるパク」という発言を流してしまったらそれは違和感を生むなと反省いたしました。ダブスタでした。

 

今回の件は、

・わたしがおたより主さんの言葉を疑わずに話しているという前提

・おたより主さんのケースに限っての回答としてはこう、という前提

について私は大変言葉足らずでした。

 

 疑問を抱かせてしまった方、ご不快な思いをされた方、大変申し訳ございませんでした。

 そして今回の件についてあたたかい言葉をくださった方、あたためていたご意見を勇気を出して送ってくださった方、ありがとうございました。

 

 今後はさまざまな立場の人に配慮した配信を心がけます。

 また、「キダチ個人の意見です」という前提が足りず「それが同人界隈のスタンダード」だと受け取られかねない程にチャンネルを見てくださっている方が多くなっているという意識も足りていませんでした。

 より一層気を引き締めて言葉を選んでいきます。

 

 最後に、今回この話の発端となったおたよりの送り主さんにつきましては、さまざまなご意見を頂く機会を与えてくたさったことと、私が勘違いしたままチャンネルを運営していくという最悪の事態を回避できたことにおいて大変感謝しております。

 どうかおたよりを送ったことについてはお気になさらないでください。

 

 今後ともキダチのチャンネルを見守っていてくださると嬉しいです。

 読んでくださって、ありがとうございました。

 

○○○

 

 補足ですが、私は無意識に誰かの影響を受けてしまうことや、意図せずたまたまネタが被ってしまうことは避けられないと思っています。

 そうならないよう意識をもつことは大切ですが、神経質になりすぎて何もできなくなって創作意欲が衰退していってしまうのも悲しいことです。

 また、二次創作という土俵において、どの立場の意見も非常に不安定です。

 それぞれが、お互いへの思いやりと公式への愛をもって、二次創作というファン活動を楽しめたら素敵だなと思います。



 ありがとうございました。